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玉敷神社1 創建年代不詳ながら、文武天皇の大宝3年に多治比真人三宅麿が 東山道鎮撫使として武蔵国に下った時に創建したものといわれている。 延喜式神名帳に記載のある由緒ある古社。 以来この地方の人々に広く尊崇された。 |
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玉敷神社2 戦国時代の天正2年(1574)上杉憲信の関東出兵で兵火にいかかり炎上焼失した。 寛永4年(1627)頃、騎西城主・大久保加賀守忠職により、再建され、現在地に移転した。 江戸時代までは旧埼玉郡の総鎮守で有り、騎西領48ヶ村の氏神であった。 祭神は大国主命といわれる大巳貴命を祀る。 |
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大英寺 崇亀山松応院大英寺という浄土宗のお寺。本尊は阿弥陀如来。 徳川家康の関東入国後、騎西城主となった松平周防守康重が 天正18年(1590)亡父の菩提を弔うために寺領30石を寄進して満誉玄道が開山した。 その後、寛永19年〈1642)に御朱印状に書き換えられた。 明治維新後、明治20年に騎西高等小学校が設置された。 |
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保寧寺1 東安山保寧寺という臨済宗妙心寺派のお寺。 本尊は釈迦如来像。 元徳2年(1330)に玉山徳施によって禅寺として開山された。 |
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保寧寺2 天正19年(1591)には騎西城主・松平康重から田畑一町歩の寄進を受け、 後、中興開山した南雄和尚の時に幕府から寺領10石の御朱印を賜った。 |
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保寧寺3 禅寺らしく庭園がとても美しい。 境内には本尊・釈迦如来像をはじめとして、 聖観音像、阿弥陀如来像など文化財が多い。 |
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保寧寺4 本堂裏にある阿弥陀堂の阿弥陀三尊像は 宗慶(運慶の兄弟弟子)の作で国の重要文化財になっている。 かつては「子授け阿弥陀」とも呼ばれ、 これを拝むと子が授かるという信仰があった・・・ |
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龍花院1 伊豆山龍花院法音寺という真言宗智山派のお寺。本尊は不動明王。 源頼朝が寺の修造を命じて、日鑁上人(伝源頼朝甥)が開山、 源頼朝の衣幕を寄進したと伝えられている。 後鳥羽院から「伊豆山龍華院法音寺」の勅号を与えられたといわれている。 |
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龍花院2 古くは真言宗の関東二十七法談所の一つとされ、 近郷に多くの末寺を擁していた。 慶安元年(1648)には幕府より寺領20石の朱印状を賜った。 忍領観音霊場番外霊場。 |
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雷電神社(南大桑) 口碑によれば、当社は門井家の北に隣接し、同家の屋敷を広げるために移築した。 利根川の堤が築造されたため、当社は今のような堤上にある。 例大祭には「暴れ獅子舞」と呼ばれる獅子舞が奉納される。 |
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1.金鑚神社 2.児玉2 3.川本 4.深谷1 5.岡部1 6.岡部2 7.本庄早稲田 8.本庄2 9.本庄3 10.本庄4 11. 深谷2 12.深谷3 13.深谷4 14.深谷5 15.深谷6 16.深谷7 17.熊谷1(妻沼1) 18.熊谷2(妻沼2) 19.熊谷3 20.熊谷4 21. 熊谷5 22.熊谷6 23.熊谷7 24.熊谷8 25.熊谷9 26.行田1 27.行田2 28..羽生1 29.羽生2 30.加須1 31.加須2 32.加須3 33. |
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